ミシガン大学公共政策大学院留学記: 価値観と経済学

2009年4月21日火曜日

価値観と経済学

今週のThe Economistは、社会政策である住宅政策が経済政策として正当化できるかについて論じており、興味深かったので、ここで御紹介したい。

『住宅政策は、安定したコミュニティ形成・市民活動の促進・子女の能力水準向上・低所得者救済といった社会的便益がある一方、家計の蓄財・貯蓄率の向上といった経済的便益もある。

社会的便益については、上記の便益が統計的に確認されるものの、持ち家が引越しを妨げ失業率を上昇させ、また、差押率が3-4%に達すると周辺の住宅価格が下落しコミュニティに悪影響を与えるといったデメリットがある。

一方、経済的便益については、上記の主張は認められるが、住宅価格が下落し差押えを受けると持ち家の全てを失い、住宅価格が上昇すると家計が借入・消費の増加といったバブルが発生し、また、住宅購入が増加することにより金融機関の住宅部門に対するエクスポージャーが過大になるリスクが存在し、むしろ経済的費用が発生している。

結論として、住宅政策の是非は社会的便益と経済的費用の衡量によるが、住宅政策の社会的便益を過大評価されていないか。』

この記事を読んで素直に思ったことは、経済的費用が高いという説明で社会政策を実施せずに済むのかは疑問だということ。記事の内容に即して言えば、他の政策で代替できる政策効果はさておき、持ち家が欲しいという誰しもが持つ庶民の夢(低所得者救済)に対して、政府が政策支援するとバブルが発生し経済危機を招きかねないからと説明するだけで、住宅政策をとらずに済むものなのだろうか。Krugmanは"Home ownership isn’t for everyone"と庶民の夢は幻想だと断じるのだが、共有された価値観に深く根差している欲望は満たされないと危険であり、場合によって政府はその存立基盤さえ失いかねない。この事例には、価値観と対峙せざるを得ない社会政策の難しさが端的に現れていると思う。

経済学的に見れば、共有された価値観に深く根差した個人の欲望が過大評価されている結果、市場が非効率となり、また、経済的リスクが発生しているということなのだろうが、実際の政策立案者が直面する"危険"に対する処方箋にはならないようだ。

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