ミシガン大学公共政策大学院留学記: 政府の見える手とGM

2009年6月2日火曜日

政府の見える手とGM

GMが昨日Chapter 11を申請し、アメリカ政府管理下で再建が進むことになった。僕がAnn Arborに到着する頃には、再建の真っ最中ということになるだろうが、引き続き目の離せない話題だ。

さて、アメリカは市場主義を謳歌してきていたが、今回の危機に際し、大胆な政府介入を繰り返している。今週のThe Economistでは、アメリカにおける政府と市場の攻防とその歴史について論じていた("The visible hand")。要旨は以下のとおり。

  • 民間の行き過ぎたリスク・テイクがアメリカを数十年に一度の景気後退に陥れ、それに対応する形で、オバマ政権と議会は政府の役割を拡大。具体的には、金融規制・役員給与規制の強化、健康保険の拡大、再生可能エネルギーへの転換、所得再配分、クレジット業界の規制などである。
  • 世論調査では、アメリカの企業活動が未だに大多数の支持を受けているが、企業が私益と公共のバランスをとっているとは考えなくなってきている。これが民主党の躍進してきた理由であるが、内実は、共和党支持者はより政府に懐疑的となっており、民主党支持者の政府信任、ひいてはオバマ大統領の信任が増しているだけである。
  • 歴史が示すところでは、大きな政府への転換が一時的なものではなく、恒久的なものとなるだろう。アメリカの歴史は、宗教的迫害、代表なき課税といったことから始まっており、政府への不信任が強い。しかし、大恐慌以降、政府の役割が重視されるようになった。危機の度に政府は拡大を続け、縮小することはあっても、元のサイズには戻ることはなかった。
  • オバマ大統領も政府拡大に対する国民の感情的反発には気づいている。彼の政策遂行の最大の課題は財政赤字であるが、新たな規制導入は財政赤字を生み出さない。ただ、新たな規制導入には革新や成長を妨げるというコストが存在。しかし、このような見えないコストは現在問題視されておらず、景気低迷から脱してしまえば、将来においても問題視されないだろう。

政府と市場の関係について論じ始めればキリがないが、政府が危機を契機に一旦大きくなってしまうと、そこに既得権益が生まれ、政治過程が歪み、危機が終了した後においても政府のサイズが変わらないというのは、公共政策の立案過程においてやはり忘れてはいけないことなのだろう。

しかし、政府介入にはこういった問題もあるが、まずその前に現時点において政府介入が是認されるかどうかも当然検証されて然るべき。今回のアメリカ政府のGM救済はそもそも後世から評価される政府介入なのだろうか。

僕はそうは思わない。雇用対策を別途打つよりもGMを救済する方が、当面の雇用維持の観点からは一見安上がりだというのは分かる。しかし、GMは既に自動車業界において競争力を失っている。日本や欧州が既に環境に優しい安価な自動車を製造している以上、GMChapter 11によりレガシー・コストを切り離せたとしても、この市場に食い込んでいくのは困難だろう。

新生GMが、コストの低い、魅力あるブランドを作り上げることができなければ、結局救済は一時凌ぎにすぎない。きっとGMが近い将来、再度経営難に陥るのではないかと思えて仕方がないのだ。僕の予想なんか外れて、より高い代償を払う羽目になる事態が生じなければいいのだが。

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