ミシガン大学公共政策大学院留学記: 「そうする以外、選択肢がなかったんです…」

2009年11月5日木曜日

「そうする以外、選択肢がなかったんです…」

月曜日から今朝までコロンビア大学に行っている同期が遊びに来ていた。この数か月で同じアメリカでも全く異なる経験をしているためか、小さいながらも色々な気付きが得られたように思う。まあ、どちらかと言えば、彼の来年の身の振り方について、思考を整理してあげたという側面が強い3日間ではあったが。

ということで今週に入って久しぶりに腰を落ち着けて、物思いに耽りながら、明日のForeign Policyの予習をしていたら、結構胸に突き刺さる記述があった。

”'I have no alternative but to do what I did' is an attempt to absolve the policy maker from responsibility for his or her decision.”

この一節は、David A. Baldwin “Success and Failure in Foreign Policy” (注) の中にあるもの。何を今更という言葉ではあるが、こういう言い訳はどうしても口をついてしまいがち。当然、最善の選択肢だと自分が信じるものを上司に説明・説得する必要があると思うが、その背景として、他の選択肢について充分な比較検討を行うことが職場にいた時にちゃんとできていたかと言われると冷や汗が出る思い。何の躊躇もなく、「責任回避」だと指弾されるのは、結構ずっしりとくる。世の中の政策の大半が定量化の困難な「価値」を扱う以上、当然こういった作業は困難を極めるけど、それから逃げてはいけないのだなと。

普段は意識の外にありがちな職業倫理というのを思い出させてくれた一節だった。

(注) この記事は、外交政策の分析を政策立案に生かすためには、政策の効果を、政策の目的・費用との関係、その他の政策との比較において、理解する必要があることを説いている。

2 件のコメント:

  1. ビジネススクールや公共政策大学院でethicsやleadership を教えるところは、意思決定に伴う「責任」という文脈でethical dilemmaの話としてこの手の「言い訳」につながりやすい 話を取り上げるみたいですね。

    Baldwin の問題意識は、公共政策で一般的に行われているような政策評価(オプションの吟味)の枠外に外交政策の意思決定・政策実施が置かれてきたことへの批判があるので、そもそもdilemma にいたる以前の話なんでしょうけど。

    公共政策分野の研究者は、ある「価値」をいくつかの定量化された政策変数で代表させる形でアプローチしていて、複数の「価値」の中での選択と、その「価値」がどれだけ良くその「価値」を代表しているかは、「政治」の話と割り切れますが、逆に「政治」あるいは「意思決定」と「政策立案」が未分化なところだと、ついつい政策立案の過程の中に、意思決定に影響を与える要素がフィードバックされてしまいますよね。

    返信削除
  2. >匿名さん
    コメントありがとうございます。

    現実問題として、政策立案には意思決定に影響を与える要素がフィードバックされるのは、程度の差こそあれ、避けることのできない問題ではないかと僕は考えています。行政府に限らず、NGOやシンクタンクといった政策立案者も、外見上いくら中立を装っていても、その主体の最終目標に沿う形で、政治に意思決定を行わせようとするのが通常、合理的な行動だからです。

    当然、意思決定権者ないし国民の観点から考えれば、そういうフィードバックから独立した政策立案に対して判断を下していくというのが理想的なのですが(価値の問題と論理の問題が完全に分離しているという意味において)、政策立案者にも多様な価値がインプットされる以上、そういったフィードバックを排除するのは困難と言えるかもしれません。これは価値のインプットを受けた組織とその構成員の思想の違いの問題とも捉えられるでしょう。これが最終的にethical dilemmaの問題へとつながっていくのだと思いますが。

    ミシガン大学でも当然こういったテーマを扱う授業は必修になっているので、来学期以降受講するのを楽しみにしていますが、アポリアに悩まされそうな気もしていて、少し気が重いというのが正直なところです。

    返信削除