ミシガン大学公共政策大学院留学記: 文章道

2010年1月22日金曜日

文章道

たまたま今日パソコンの中のデータを整理していたら、高校生の時に書き溜めていた論文や、大学時代のゼミにおける発表論文など、ごっそりと出てきた。懐かしい思いに耽りながら少し読んでみたのだが、そんな懐古的な気持ちは吹っ飛んでしまった。内容はともかくとして、文章があまりにも稚拙で、教授をはじめ先輩・同級生はよく理解してくれていたなと赤面するばかり。

当時と比べれば、仕事柄、簡潔で要を得た文章を大量に作成する訓練を受けてきたおかげで、幾分は上手くなっているのだろうが、また5年後くらいに現在書いている文章を眺め直してみれば、また赤面してしまうんだろうな。恥ずかしいからと言って文章を書くのをやめることはできないので、良い文章を書くには日々訓練を続けるしかないか。

多分に僕が良い文章を書きたいとこだわる理由は、文章を書くことでしか思考を明確に整理することができないからだと思う。如何せん頭が悪いためか、頭の中でごにょごにょと考えていても思考が絡まっていくだけで、まったく思考が進まない。そこで文章に書き出してみると、いかに自分が物事をいい加減に考えているかというのが紙の上に無慈悲にも表れてしまうので、その出来の悪い文章を客体化して、再度批判を加えつつ、自分の考えを練り上げることができる。こういう文章の書き方になったのは、中学生ぐらいの時からパソコンで文章を書く癖がついたからかな。

そして、このプロセス自体は個人的にわりと好き。ブログの記事とかは特段推敲することもなく書いているが、仕事や大学院でのペーパーはとりあえず一度書きあげた後も、できる限り、ある程度時間をおいた後に何度も読み直して、文章構成が流れているか、無駄な言葉をできる限り省けているか、必要なことは過不足なく書いているか、そして日本語であれば助詞や句読点の用法は適切か、などなど、暇さえあればぎちぎちと文章を詰めている。そういえば、「1Q84」の主人公も似たような文章添削の仕方をしている記述があって、あれって実は村上春樹自身の小説を書く際の姿勢なのかなあ。

それでも、文章を書くというのはいつまで経っても、なかなか上手くならないわけで。好きなものこそ上手なれだけど、文章道を極めるのは難しそう。そんなことを思いつつ、思い出の論文たちにまたしばらくのお別れと再会の約束をしたのでした。

2 件のコメント:

  1. 最初の匿名2010年1月22日 19:28

    一緒です。ただ私は、プリントアウトして紙媒体にしてからじゃないと、上手い具合に詰めていけないんですよね。それが難点です

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  2. >最初の匿名さん
    最後の仕上がり具合を見るのは、やはり紙媒体じゃなきゃだめですよね。視覚的に異なるわけではないのに、最後は紙媒体じゃなきゃいけないというのは、いくらデジタル化が進んでも、人間って結局アナログであることの証左なのかなと思ってしまいます(笑)

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