ミシガン大学公共政策大学院留学記: 内実伴う民主主義?

2010年5月11日火曜日

内実伴う民主主義?

今週のThe Economistの記事で、民主主義をいかに機能させるかという観点から興味深い記事があったので、少しご紹介(Ancient Athens Online)。要旨は以下のとおり。
  • 国民一人一人にとって、あらゆる政策に熟知することは時間的に不合理。だが、政策立案に携わる官僚に丸投げするのも魅力的な選択肢ではない。古代アテネでは、約5万人の国民から無作為に500人を抽出して、政策決定を行わせるという制度が存在。現代でも、同種の手法が”deliberative democracy”として復活。
  • 主導的な実践者の一人に、スタンフォード大学のFishkin教授がいる。彼は約300人を無作為抽出し、彼らに双方のアドボカシー・グループから意見を聴取させた上で、その問題について討論させた後に、意見決定させるというもの。理論的には、この意思決定は全国民が熟知したうえで下す意思決定とほぼ同じである。こうした手法は、およそ75%の問題について、統計的に優位な意見の変更をもたらす。
  • こうした手法は興味深いが、その結論が実行に移されなければ、選挙などの代わりとはなりえない。しかし、こうした手法に基づく結論が実行に移され始めている。ただ、民衆が権力を手にすることに統治者が気を揉んでいる国では、こうした手法が一種の安全弁となっている可能性がある。
ここで言うdeliberative democracyとは、国民の各階層を代表する人間を標本抽出した上で、特定の政策問題に関する知識を充分に与え、議論させることで、ただの数の論理による結論ではなく、意味ある議論を尽くした、よりよい結論を得ようという手法のようだ。こうした手法を使えば、国民はあらゆる政策課題に通じている必要はなく、コストを最小限にして合理的な意思決定ができそう。ただ、現行の民主主義の建前を前提とすると、やはりいくら政策課題に熟知させ議論させたとしても、国民の一部の意見でしかない以上、尊重はすれど、拘束力のあるものとしては活用できないだろう。

記事では日本での実施例も一言触れられていて、おそらく藤沢市の「藤沢のこれから,1日討論」のことではないかなと。この藤沢市の例では、討論型世論調査が拘束力を持つものではなく、総合計画の策定にフィードバックするという形が取られている。やっぱり普通に考えれば、こういうふうに政策立案過程に活かすというところが現実的なのねと納得。

国政レベルでもこうした取組をするのはいかがだろうか。不特定多数からパブリック・コメントを求めるよりも、内容のある提言や批判が得られそうで、政策立案の質の向上に寄与するのではないか。こうした手法は、パブコメを募集することで国民から意見を聞いているという姿勢を示して、何となくお茶を濁している現状よりかは、優れていると思うのです。

2 件のコメント:

  1. 同期AKです。ごぶさたです。これ面白いね。同誌は購読してるんだけど、見逃してたよ。国だと専門性高い話が多いし、あんまりぴんとこないけど、基礎自治体ではありうる気もするね。似た発想と思しき裁判員制もそこそこ順調のようだしね。

    返信削除
  2. >AK
    ごぶさたです。シラキュース生活はいかがですか?

    The Economistの英語って小難しいし、要求される教養レベルが高いので、僕は未だに辞書やネットに首っ引きになりながら読んでいると感じで、到底すべての記事に目を通すことができないのが最近の悩みです。そこはクオリティー・ペーパーなので仕方ないのかなあ。

    さて、本題。おっしゃるとおり、基礎自治体によく馴染む手法だと思いますが、国への応用も可能と思います。あくまでこうした手法での真の国民意思の吸い上げは、おおまかな政策の方向性に関して行えばよく、専門・技術的な部分は引き続き役所と(御用審議会との批判はあるが)審議会が担うべきと考えるからです。

    そもそも、こうした手法は行政府の専門性を補完するために生まれたものではなく、立法府の意思決定を補完する手立てとして生まれてきたものです。その経緯から考えてみれば、現在立法府が判断しているレベル、ないしそれより大雑把な方向性を、政策立案過程にインプットできれば充分なのではないかと。

    ただ、この手法の問題点は、理論面ではセレクション・バイアスをどう処理するか、運用面では中立性・透明性をいかに確保するか、にあるのかなというのが、個人的な直観です。

    返信削除